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東京地方裁判所 昭和52年(ヨ)2405号 決定

債権者 斉藤定美

債務者 吉野石膏株式会社

主文

本件申請を却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  債権者

1  債務者が債権者に対し、昭和五二年一〇月二九日付でなした債権者を債務者会社大阪支店岡山営業所勤務とする旨の配置転換命令の効力を仮に停止する。

2  申請費用は債務者の負担とする。

二  債務者

主文同旨

第二当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実および疎明資料によれば、債務者は建築内装材である石膏ボード等の製造販売を業とし、東京本社のほか東京等五ケ所に自社工場、一〇ケ所に合弁会社形式の系列工場を有している会社であること、債権者は昭和四三年三月高等学校卒業後直ちに債務者会社に技能職(工員)として入社し、以来東京工場に配属され、職種変更試験に合格した昭和四四年四月以降は事務職員として同工場倉庫課に勤務していたが、昭和五二年三月一一日債務者会社大阪支店岡山営業所への転勤を内示され、次いで同年一〇月二九日右転勤を命ぜられたことが認められる。

二  債務者は、本件転勤は債権者債務者間の労働契約に基づき、債務者が労務指揮権の行使として労務の提供場所を指定したものであつて、労働契約の内容として労務提供場所が特別限定されていない以上、労務指揮権によつて実現される労務履行の態様の問題にすぎず、労働契約履行の過程に生ずる一事実にとどまるから、権利または法律上の利益の問題ではなく、これが効力を争うことは単に事実の効力を争うに帰するし、また本件転勤が債権者債務者間の労働契約になんらの消長を来たすものでもないから、本件転勤の効力如何は債権者の現在における法律的地位ないし債権者債務者間の法律関係にかかわりがなく、従つて本件申請は被保全権利を欠き不適法なものであると主張する。なるほど職種や就労場所が労使間で明確に合意され、その範囲内で転勤命令が発せられる場合、右命令は使用者が自由になしうる指示または指揮命令という事実行為にすぎないが、労働条件に関する権限が一定の範囲で使用者に包括的に委ねられていると認められる場合、使用者の意思表示により労働者の職種、就労場所等を一方的に変更することは、単なる事実行為にとどまるものではなく、労働契約の内容を変更するところの形成的な意思表示と解せられるから、その当否は当然民事訴訟の対象となり、また包括的授権の範囲を超えて転勤命令が発せられた場合には使用者の一方的意思表示により労働条件が変更されるものではなく、従つてそのことで労使間に紛争を生じた場合にも民事訴訟の対象となりうるものであるところ、疎明資料によれば、債務者会社の就業規則には業務上必要な場合従業員に転勤を命じうる旨定められており、債権者はこれを承知して入社し、しかも債務者会社においてはこれまでしばしば転勤が行われていたことが明らかであつて、かかる事実に照らすと、債権者債務者間の労働契約においては就労場所等の労働条件について使用者たる債務者に包括的な処分権が委ねられており、本件転勤命令は右権限の行使としてなされたものと認めるのが相当である。従つて本件転勤命令は前記のごとく形成的な意思表示というべきであり、その適否は当然訴訟の対象となるものであるから、債務者の前記主張は失当であるといわなければならない。

三  そこで本件転勤命令の適否について以下検討する。

1  債権者は本件転勤命令は業務上の必要性、合理性がないばかりか、夫婦、親子の別居を強い債権者の家庭生活を破壊するものであつて人事権を濫用するものであるから無効であると主張するので検討する。転勤は労働者の生活に重大な影響を与えるものであるから業務上の理由に基づくものでも無制約に許されるべきものではなく、転勤につき業務上の必要性および当該労働者を選択したことの妥当性(以下併せて転勤命令の合理性という。)の存することが必要であることはもとより当然であるが、他方転勤命令は使用者の有する労務指揮権の行使として発せられるものであるから、右命令の当否については相当大幅に裁量の余地が認められるべきであり、しかも労働者は使用者と労働契約を締結することによつてその個人的生活に諸種の影響を受けることを当然予測すべきものであるから、当該転勤命令が合理性を備えている場合には転勤が労働者の生活関係を根底から覆えす等の特段の事情がないかぎり、権利の濫用とならず、従つて労働者は右転勤を拒み得ないものと解するのが相当である。そこで右の観点に立つて本件転勤命令が権利濫用にあたるか否かについて検討する。

先ず本件転勤命令の合理性について検討する。当事者間に争いのない事実および疎明資料によれば、本件においては前記のごとく債務者は債権者との労働契約において労働条件につき包括的な処分権を取得しており、本件転勤命令はこれに基づいて発せられたものであること、債権者は昭和五二年三月の定期異動において岡山営業所から高松営業所に転勤した戸張久男の後任者として命令されたものであるが、岡山営業所の付属倉庫は他の営業所の付属倉庫とは異なり、岡山、広島両営業所の付属倉庫としてのほか、西日本地域に存する債務者会社の九州工場、菱化吉野高砂工場等の製品の集配送の拠点としての機能を有しており、従つて岡山営業所においては、(イ)製品の在庫確認、(ロ)管理、(ハ)入出荷指示と指図書の作成交付、(ニ)製造工場に対する製品の補充手配、(ホ)製品の出荷調整、(ヘ)出荷チエツクとクレーム防止対策、(ト)関係工場、支店等との連絡をその業務の一部としていたため、前記戸張の後任としては営業員としての補充のほか、右のごとき倉庫管理業務についての知識経験を有するものを必要としたこと、そこで債務者会社は倉庫業務経験者九名の中から八年に亘る経験を持ち、在庫管理、受渡業務に精通し、製品についての知識が十分ですでに昭和四四年四月には前記のごとく事務職への職種変更試験にも合格して営業員としての資格をも備え、かつ入社後地方への転勤が未だ一度もなく、そのうえ現在二八歳であつて岡山営業所長安達恒夫(四〇歳)との年令の均合も相応な債権者を選任したものであることが認められる。そして右事実に徴すれば、本件転勤には十分な必要性があり、かつその人選にも、債権者が営業未経験者である点からいつて必ずしも最適任者であるとまではいえないとしても相当の妥当性が存するものといわなければならない。

そこで債権者が本件転任によつて被る不利益について検討するに、当事者間に争いない事実および疎明資料によれば、債権者は現在賞与を含め月収約一五万円を得、なお同人には現在債務者会社東京支店(東京都千代田区丸の内所在)に勤めている妻直江(二八歳、月収約一〇万円)と長女紀代美(二歳)があり、債権者夫婦は紀代美を保育園に預けて共稼ぎを続けているが、職場への通勤所要時間等の関係から、債権者が紀代美の送迎にあたつており、債権者らには他に頼るべき身寄の存しないことが認められる。従つて本件転勤命令により、債権者が岡山営業所に単身赴任するとすれば、夫婦の別居は勿論のこと、直江が紀代美の送迎にあたらなければならず、これに要する時間は債務者会社に労務を提供し得なくなるため賃金カツトを余儀なくされ、さらに別居生活に伴う支出増加等のため現在と比較して精神的にも経済的にも不利益を受けることは否定し得ないところであり、また直江が債務者会社を退職し、債権者と共に岡山へ赴くとすれば、直江の収入がなくなるため、現在に比べて経済的に不利益を被ることもまた否定し得ないところである。しかしながら本件転勤命令によつて共稼ぎ夫婦である債権者夫婦が別居するか、その一人が退職するかは共稼ぎ夫婦の一方の転勤によつて通常生ずる事態であり、通常予測されないような異常なものとはいえないし、さらにかりに直江が退職し債権者と共に岡山へ赴いた場合なるほど収入は減少するが、支出も共稼ぎのときに比べて相当に減少するはずであるから経済生活はやや窮屈になるとはいえそれほど悪化するとは考えられないし、疎明資料によれば、赴任先での直江の就職斡旋等について債務者会社においても努力する旨約していることが明らかであり、さらに債権者らが別居生活を営む場合、会社は直江に保育園への送迎時間等につき便宜を与える旨約して本件転勤に伴う不利益をできるかぎり防止すべく努めていることが明らかであり、かかる事実に照らすと債権者が本件転勤によつて被る不利益をもつて債権者の生活関係を根底から覆えすほどの特段の事情に該ると解することはできない。従つて本件転勤命令が権利の濫用に該るという債権者の主張は失当であるといわざるを得ない。

2  次に債権者は本件転勤命令は総評全国一般労働組合東京地方本部東部合同労働組合吉野石膏東京工場支部(以下東京工場支部という。なおこれに同本部中部地域支部吉野石膏分会、以下本社分会という、同吉野石膏草加工場分会、同吉野石膏千葉分会を併せて便宜第一組合という。)に加入している債権者を東京工場から不当に排除し、第一組合を壊滅させることを目的とするものであつて不当労働行為であると主張するので検討する。当事者間に争いのない事実および疎明資料によれば、(イ)債務者会社の代表者である須藤恒雄が昭和四九年一月の年頭の所信表明等で第一組合を敵視するような発言をしていること、(ロ)また債務者会社は昭和四八年六月一四日に第一組合の結成を準備中であつた現在の本社分会長小野寺重男をはじめ鶴田至、川村清二、戸張久男に対し地方営業所への配転を内示したが、組合の抗議にあつてこれを撤回し、(ハ)さらに昭和四九年三月には本社分会等の組合役員九名を地方営業所等へ配置転換し、(ニ)同年四月二日には右配置転換を不当として争つた第一組合員の高橋孝雄、小太刀研自の両名を解雇したが昭和五〇年一二月一六日東京都地方労働委員会(以下都労委という。)により右解雇が不当労働行為と認定され、(ホ)さらに債務社会社は第一組合員らの東京工場における二度に亘る集会、会社代表者、役員に対する面会強要等が就業規則に反するとして昭和四九年七月三一日第一組合の前記小野寺重男、菊地義弘(本社分会書記長)、鈴木和男(同執行委員)、坂上功一(東京工場支部書記長)らを解雇し、次いで昭和五〇年三月には本社分会の執行委員であつた川村清二ら三名、同東京工場支部の執行委員であつた田村敏巳ら三名に対し、地方支店あるいは営業所への配置転換を命じたところ、第一組合は右解雇および配置転換を不当労働行為であるとして都労委に救済命令を申立てるなど、債務者会社と第一組合との間には第一組合結成以来激しい対立抗争があり、ときに前記(イ)、(ロ)、(ニ)記載のごとく債務者会社には不当労働行為あるいはその疑いの極めて強い行為の存したことが窺われるし、さらに債権者個人もまた東京工場支部の結成に尽力し、昭和四八年六月二一日の結成大会以来今日に至るまで同支部に属しており、昭和五一年九月まで同支部の執行委員を勤めているなどそれまで第一組合員として組合活動を活発に行つて来たものであり、加えて妻直江も本社分会結成以来同分会に所属し、現在同分会の執行委員として組合活動に従事していること等、債務者において、債権者を東京工場から排除し、もつて第一組合の活動を妨害する目的の下に本件転勤命令を発したものとの推認を可能ならしめるような事情が存しないわけではない。

しかしながら他方疎明資料によれば、債権者は昭和五一年一〇月以降は組合の役職には就かず、本件転勤命令の内示から発令に至るまでの間は、ときに会社門前等においてビラまきをするほかは第一組合においてそれほど指導的な役割を果していたとは認められないし、前記(ホ)記載の各行為の当否については現在都労委で係争中であつて直ちに不当労働行為とは断じ難いものであるばかりか、本件転勤につき業務上の必要性があり、またその人選についても相当の妥当性が存することは前叙のとおりであるから、前記のごとく債権者の妻直江が現在本社分会の執行委員として組合運動に従事しており、また第一組合と債務者との間に激しい対立抗争があり、ときに債務者会社に不当労働行為と認められるような行為があるからといつて直ちに本件転勤命令が債権者夫婦の組合活動を嫌悪し、債権者を東京工場から排除すると共に、第一組合を壊滅させることを主たる目的としてなされたものと即断することは相当ではなく、他に債権者の主張を裏付けるにたる疎明はない。

(なお疎明資料によれば、(イ)債務者会社は本件転勤命令内示後一時債権者に仕事を与えず、また現在では伝票整理等従前と異つた業務に従事させていること、(ロ)さらに右内示後第一組合とその運動方針を異にしこれと対立関係にある吉野石膏東京工場労働組合の組合員が転勤に応じない債権者を強く非難し、ときに嫌がらせと思える行為をなしたこと、(ハ)転勤命令内示後再三にわたり深夜債権者宅に嫌がらせの電話がかかり債権者は多大の迷惑を蒙つていること、(ニ)また結成当初約四六〇名いた第一組合員が昭和四八年暮頃から次第に減少しはじめ現在では約五〇名にすぎないこと、(ホ)昭和四八年の年末一時金、昭和四九年一月に支給された業績手当、同年の夏季一時金等の支給につき多数の第一組合員に平均より低い金額を支給した事実があつたこと、(ヘ)最近においても第一組合員である西山俊通らに対し、直近の上司が第一組合からの脱退を働きかけた事実のあつたこと等が窺われ、債権者は右(イ)、(ロ)、(ハ)記載の各行為はいずれも債権者が本件転勤命令の内示および同命令に従わないことに対する報復として債務者が自らまたは他の者を使嗾してなしたものであり、その余の事実も債務者会社の不当労働行為であり、従つて本件転勤命令も不当労働行為であると主張するけれども、右(イ)記載の行為については労働者には一般に就労請求権はなく、また転勤命令内示または命令後、債権者に従前と異なる業務を与えたからといつてそれが直ちに不当なものといいうるか否か疑問であり、(ロ)記載の行為が債務者会社の指示に基づくものであるとの疎明はないし、(ハ)記載の行為が会社の意を受けた者の行為であるとの疎明もない。また右(ニ)記載の組合員の減少が債務者会社の働らきかけ、利益誘導に基づくものとの疎明はないし、(ホ)記載の取扱が勤務成績等にかかわりなく第一組合員であることのみを理由としてなされたものであるとの疎明も未だ十分でない。また(ヘ)記載の働きかけが会社の方針に基づいてなされたものであるとの疎明も十分ではない。従つて右(イ)ないし(ヘ)記載の事実をもつて本件転勤命令が不当労働行為であることの疎明と認めることは困難である。)

四  してみると債権者の本件申請は結局その被保全権利についての疎明が未だ十分でなく、事実の性質上保証をもつて右疎明に代えることも相当ではないから、これを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 福井厚士)

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